2025年09月05日

酔古堂剣掃04(田園真楽あり瀟酒ならずんば)

書き下し文

田園真楽あり、瀟酒(しょうしゃ)ならずんば終(つい)に忙人となる。
誦読(しょうどく)真趣あり、玩味(がんみ)せずんば終に鄙夫(ひふ)となる。
山水真賞あり、領会(りょうえ)せずんば漫遊となる。
吟詠真得あり、解脱せずんば終に套語(とうご)となる。

現代語訳
田園に本当の楽しみがある、ただし心を放り出し無心にならなければ忙人となる。
書を読むということは、真の趣があるしかし玩味しないと卑しい人間になる。
山水を愛でるのは心が洗われる、しかしその中で行われる自然の営みに
心を馳せ無ければ漫遊にすぎない。
詩や和歌を作ることは情感を養う、しかし世俗にとらわれると言葉の遊戯になる。
結局は本人の心掛け次第でどちらにもなる。
posted by 成功の道しるべ at 11:37| 酔古堂剣掃

2025年08月28日

酔古堂剣掃とは02

安岡正篤師の酔古堂剣掃からの抜粋。
どちらかというと、こちらの方が本質をついている。

「酔古堂剣掃」これは単なる一片の知識だとか理論というものではない。
人間が人間としての人格、人間としての教養、人間としての生活を潤す。
孟子の言葉で言うと「心広体胖」(しんこうたいはん)、人間の心を広く
体を胖(ゆた)かにする「広胖」(こうはん)という言葉があるが、心身を本当に養う。
つまり心の食べもの、「心広体胖」ならしめる精神、魂の食物であります。

ちなみに、「2014-03-28-心の機能と学問」のブログで関連する内容を書いて
いるので、参考までに!
posted by 成功の道しるべ at 11:28| 酔古堂剣掃

2025年08月26日

酔古堂剣掃とは01

安岡正篤師の酔古堂剣掃(すいこどうけんすい)を教科書に使う。

では、酔古堂剣掃とはどんな書物であろうか。
本書から抜粋
酔古堂剣掃という書物は、明末の教養人・陸紹珩(りくしょうこう)が長年愛読した
古典の中から会心の名言・嘉句を収録した読書録であります。
当時中国は伝統的な儒教、仏教、道教が知識階級に普及してそれまで対立していた
儒,仏、道の我が取れて自由に三教に遊ぶような読書人、教養人、というような者が
多数排出した。これは明代の一つの特徴でありそういう中から王陽明や陳竜泉とか
いろいろな偉い人も出た。

発達した読書人階級の間に単に知識を習得して資格試験に及第する学問というもの
だけでなく、人間及び生活そのものを潤す真の意味の学問が普及し人間学の貴重な
書物、善本がたくさん出た。
西洋人の言うカルチャーとしての学問、読書これが大変に発達し普及したので
あります。その一つが菜根譚であり酔古堂剣掃であります。
ただ、内容としては酔古堂剣掃の方が比較にならない程豊富です。

参考
酔古堂:陸紹珩の雅号
 剣掃:彼が愛読した書物の名言・嘉言を剣(心)で邪気を掃(は)らうという意味。


posted by 成功の道しるべ at 17:13| 酔古堂剣掃
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