2026年01月15日

世説新語(朱百年家貧し)

書き下し文

朱百年(しゅひやくねん)家貧し。母冬月(とうげつ)を以て亡(ぼう)す。
衣、並(みな)絮(わた)無し。
百年此(こ)れより綿帛(めんぱく)を衣(き)ず。
甞(かつ)て寒時に孔思遠(こうしえん)に就きて宿す。
衣、悉(ことごと)く裌布(こうふ)なり。
酒を飮んで醉眠す。思遠臥具(がぐ)を以て之を覆ふ。
百年初め知らず。既に覺めて引き去り。思遠に謂(い)いて曰く、
綿は常に奇溫なりと。因(よ)りて涕(なみだ)を流して悲慟(ひどう)す。
思遠も亦た為に感泣(かんきゅう)しぬ。

現代語訳

朱百年は家が貧しかった。母は冬月に亡くなった。
衣にはどれも綿がない。竝びに絮無し。百年は綿の入った温かい
着物を着なかった。ある非常に寒いときに孔思遠のところに泊まった。
衣服はことごとく合わせである。酒を飮んで醉って寝てしまうと、孔思遠
が夜具をもって百年にかけてやった。
百年は最初こそ知らないが、やがて覚め思遠にいう。
綿というものは温かいものだなぁと。
こんな温かいものを着ずに死んだ母を思い涙を流して悲しく慟哭(どうこく)した。
思遠もまたそのために感極まって泣いた。

参考
朱百年-六朝宋の時代の隠士
孔思遠-宋の武帝の時の侍従武官
posted by 成功の道しるべ at 14:00| 世説新語

2026年01月10日

筆者雑感

小生は元々技術畑の人間なので人生の大半は東洋思想とは無関係だった。
論語に出会ってから、少しましな人間になったようだ。

歴史が好きで 宮城谷昌光の中国の偉人にスポットを当てた作品はその当時すべて
読んでみた。また、日本の偉人といわれる様々な人物の伝記も御多聞に漏れない。

占も好きで手相、人相、タロット、星占、四柱推命、骨相、などやってみた。
その中で四柱推命と星占は、演繹法、帰納法に基ずいているので別格だ。
(すなわち科学的根拠があるということ)

それでというのはお恥ずかしいが、自身のバックナンバーを読むと随分と偉そうな
事を書いているなーと赤面している。
どうかご容赦願いたい!
posted by 成功の道しるべ at 13:37| 日記

人物とは?

世説新語を読むといろんな人物像がでてくる。
ヘー、こういう生き方もあるんだナーという感心するものばかり。
では、我々があの人は「人物」だという人は、どのような素養を持っているのか。
それを知りたいところだ。

で、以前書いた記事の知識、見識、胆識の中の一文を紹介する。

***「見識」というものは「知識」とは違います。
「知識」を得ることは簡単ですが、「見識」というものは、性命より生ずる
理想を追及して、初めて得られるものです。
即ち理想に照らして、現実の複雑な経験を断定するものであります。
人生に大事なものは知識より見識であります。
我々はいくら知識があり、学問があっても、日常生活の中の些細な問題さえ
決定できぬことが多い。
偉い学者といわれる人が、つまらぬ一瑣事に囚われるということは、
つまり知識と見識が違うからです。
したがって見識というものは一つの決断力であり、これは人生において
直ちに行為となって現われなければならぬ、決断は同時に行為でなければならぬ。
したがって見識というものは、実践的でなければならぬ。

ところが見識が実践的になるには、またここに一つの勇気がいるわけである。
この実践的勇気を称して「胆力」といいます。
だから見識というものは胆力でなければならぬのであります。
見識は進んでいえば「胆識」でなければならぬ。
この見識を胆識にまで、つまり「胆力のある見識」にするには
理想というものが一貫不変でなければならぬ。
本物の志気になればなるほど、見識は胆識になってくる。

この理想の一貫不変性を称して「気節」とか「節操」とか「信」というのであります。
そうすると、我々のささやかな生活、刹那的生活が、理想という遠大な
ものに結ばれることによって、それだけ大きさを生んでくるわけです。
人間生活、自己自身に大きさを生んでくる。
これを称して「器」とか「度」とか「量」とかいいます。
これを結んで「度量」とか「器量」ともいいます。

「あの人は器量人である」「あの人は度量がある」ということの本当の意味は、
いかに遠大なる理想を持ち、いかに見識・気節があるかということであります。
器量ができてくると、それだけ理想と現実とが錬磨されてくるから
ますます深い見識が出来てくる、智慧が出来てくる。
つまり人間の深さというものが生じ、それが洗練されてくるものですから、
そこに「潤い」あるいは「趣」といった情操がにじみ出てくるのです。

そのようにして人間が本当に生きてくるにしたがって、天地の法則のとおり、
人間の性命が躍動してくるから、いわゆるリズミカルになって、
「風韻」というものが生じてくる。
元気というものから志気となり、胆識となり、気節となり、器量となり、
人間の造詣、薀蓄となり、それが独特の情操風格を帯びてくる。
これらが人物であることの根本問題中の根本問題であります。
こういうものを備えてこなければ、人物とはいえない。
人物を練る、人物を養うということは、こういうことを練ることです。***
「安岡正篤」より
 以上
posted by 成功の道しるべ at 13:19| 世説新語
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