2025年11月29日

湘夢遺稿、下

原文
瓠花深港見嬋娟
一扇相思両世縁
香燼芳空根不断
又抽柔蔓故纒綿

書き下し文
瓠花(こか) 深港(しんこう)に嬋娟(せんけん)を見(あら)わし
一扇 相い思う 両世(りょうせ)の縁
香燼(こうじん) 芳(かおり) 空(むな)しけれども 根(こん)断(た)えず
又た柔蔓(じゅうまん)を抽(ぬ)いて 故(ことさら) に(てんめん)たり

現代語訳‐本書より
みすぼらしい港の奥深くに咲く夕顔のあでやかな美しさに、光源氏は目を
とめられました。香をたきしめた白い扇がとりもつ縁で、夕顔の君と源氏は
二世の契りを結びます。香はもえつき、女君ははかなくなりましたが、
その命の根は断ち切れません。
また柔らかな蔓がのびてまといつくように、忘れがたみが源氏の前に現れて、
捨てがたい思いにさせるのでした。

現代語訳(意訳)
さびしい港町の奥深くに咲く夕顔のあでやかな美しさに、光源氏は目をとめられました。
一双の屏風のように相い思い、夕顔の君と源氏は二世の契りを結びます。
香はもえつき、女君ははかなくなりましたが、その情を断ち切ることはできません。
柔らかな蔓がまといつくように、玉鬘が源氏の前に現れて捨てがたい思いにさせるのでした。

瓠花-夕顔の花
玉鬘(たまかずら)-夕顔の忘れがたみ


posted by 成功の道しるべ at 02:00| 江馬細香

2025年11月27日

世説新語(范巨卿荊州の刺史たり)

書き下し文

范巨卿(はんきょけい)荊州(けいしゅう)の刺史(しし)たり。
友人孔仲山(こうちゅうざん)、家貧しくして親を奉じ、姓名を變じて、傭(やと)われて
新野縣(しんやけん)の街卒(がいそつ)と爲(な)り。
巨卿が部を行(めぐ)るに値(あ)う。、縣、仲山を選びて導騎(どうき)と爲(な)す。
巨卿、仲山を見るや、驚いて臂(しじ)を捉(とら)へて曰く、子は孔仲山に非ず耶。
吾(わ)れ昔子と倶(とも)に長裾(ちょうきょ)を曳(ひ)いて、太學に
遊息(ゆうそく)しき。

吾國恩を蒙(こうむ)り、位を牧伯(ぼくはく)に致す。而(しか)るに君、
道を懷(いだ)いて身を隱し、卒伍(そつご)に処(お)る。
亦(また)惜しからずや。仲山曰く、矦贏(こうえい)長く賤業(せんぎょう)を守り、
晨門(しんもん)は志を抱關に肆(ほしいまま)にせり。
貧は士の宜(ぎ)なり。豈(あ)に鄙(いや)しとなさんや。
巨卿、縣に勅(ちょく)して、仲山を代(か)へしむ。
仲山、先傭(せんよう)未だ竟(おわ)らざるを以て肯(あえ)て去らざりき。


范巨卿は荊州の地方長官である。友人の孔仲山は家が貧しいので親に仕え、
姓名を変えて、傭われて新野県の路傍で働く人間となり、巨卿が支配地域を視察して
回るのに出会った。県庁では仲山を選んでその先払いとした。
その時巨卿は仲山を見るや、驚いて肘をとらえていった。
君は孔仲山ではないか。私は昔君とともに長い裾を曳いて大学で一緒に遊学した。

私は国恩によって地方長官にまで出世した。
しかるに君は道を抱いて身を隠し賤しい兵卒の隊列の中におる、なんと勿体ないことだ。
それに対して仲山がいう、戦国の時代の隠士である矦贏は長い間、賤業を守り晨門は
関所の門番をして気ままに暮らしたものだ。
貧乏は志あって世に生きる者のあまんじるところ、よしとするところだ。
どうして卑しいというのだ。
巨卿は県庁に対して仲山を代えさせた。
仲山は先の約束の仕事はまだ終わっていないとあえて去らなかった。
posted by 成功の道しるべ at 11:06| 世説新語

2025年11月24日

世説新語(朱文季は張堪と同縣なり)

徳川から明治時代にかけて教養人に広く読まれた「酔古堂剣掃」と「世説新語」。
世説新語は二十巻、三十六門に及ぶ膨大なもので、安岡先生この本の中で五十篇を
選んで解説されている。

第一章-知己の信と情より
書き下し文
朱文季(しゅぶんき)は張堪(ちょうかん)と同縣なり、張、太學中に於て文季を見、
甚だ之を重んじ臂(ひじ)を把(と)って語って曰く、妻子を以て朱生に託せんと欲すと。
文季敢て對(こた)へず。
張亡(ぼう)して後、其の妻子の貧困を聞き、自ら往いて候視(こう)し、
厚く之に賑贍(しんせん)す。
子怪んで問ひて曰く、大人は堪と友たらざるに、何ぞ忽(たちま)ち此(かく)の如きやと。
文季曰く、堪嘗(かつ)て知己の言有り。吾(わ)れ以って心に信ずればなりと。

現代語訳
朱文季は張堪と同じ県の地方官の仲間であった。ある日張は大学で文季をみて
非常にその人物を尊重し親しく密接に付き合うようになり、こう言った。
私に何かあったら私の妻子の面倒をみてやってほしいと。

そのとき文季はあえてなにも応えなかった。帳はその後すぐに亡くなった。
やがて文季の耳に帳の妻子が貧困のあるということが入る。
すると文季は自ら出かけて行って、つぶさにその状態を視察し、そして手厚く
妻子を賑わし助けた。

ところが文季の子供は何も事情が分からない。
不思議に思って、お父さんは堪と友人でもないのになぜあんなに親切に
するのかと問う。文季が応える、かつて堪と知己の言葉を交した。
私は厥知己の情に信をもって応えたのであると。
posted by 成功の道しるべ at 06:51| 世説新語
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