安岡正篤師の酔古堂剣掃からの抜粋。
全体を通して自然、田園、山水などを楽しみ、世の中の名利など
全く眼中にない悠々たる人間の生き方を見事に活写した風雅の書である。
日本では明治の人は良く読んだそうだが、昭和になってほとんど読む人を
見かけなくなったと著者は嘆く.
そこで人間の心身を本当に養う,心の食べ物・栄養として、また本当の意味の
教養として広く知ってもらうために講演を重ねた。
その講演録が前出の書である。
ーーー
ここで酔古堂剣掃が出てきたので、明治時代にこの書と共に知識人の
必読の書して読まれたものに「世説新語」があります。
酔古堂剣掃は、自然を扱ったものが多いですが、この本は家族、主従、君臣間など
人物のあり方を主に書かれています。
「酔古堂剣掃」は、個としての成熟を「世説新語」は人としての繋がりを成功させる
良い教材と考えます。
2025年10月10日
酔古堂剣掃07(体栽如何ん、出月山に隠る)
書き下し文
体栽如何(いか)ん、出月(しゅつげつ)山に隠(よ)る。情境如何ん。
落日嶼(しま)に映ず。気魄(きはく)如何ん。収露(しゅうろ)色を斂(おさ)む。
議論如何ん。廻飆(かいひょう)渚(なぎさ)を払う。
現代語訳
月が出て山に体をもたせておる。この情景の妙味は言うにいえない風情がある。
沈みゆく夕日がなんとも美しい。なにものにも動じない心持ちはどうだろうか。
いかにも玉のように透き通っている。討論の推移はどうだろうか、
荒いつむじ風がヒュットきて海岸に怒涛と共にぶつかって舞い、渚を払う。
体栽如何(いか)ん、出月(しゅつげつ)山に隠(よ)る。情境如何ん。
落日嶼(しま)に映ず。気魄(きはく)如何ん。収露(しゅうろ)色を斂(おさ)む。
議論如何ん。廻飆(かいひょう)渚(なぎさ)を払う。
現代語訳
月が出て山に体をもたせておる。この情景の妙味は言うにいえない風情がある。
沈みゆく夕日がなんとも美しい。なにものにも動じない心持ちはどうだろうか。
いかにも玉のように透き通っている。討論の推移はどうだろうか、
荒いつむじ風がヒュットきて海岸に怒涛と共にぶつかって舞い、渚を払う。
posted by 成功の道しるべ at 09:33| 酔古堂剣掃
2025年09月21日
酔古堂剣掃06(史を読むには訛字に耐ふるを要す)
書き下し文
史を読むには訛字(かじ)に耐ふるを要す。正に山に登るには仄路(そくろ)に耐へ、
雪を踏むには危橋に耐へ、閑居には俗漢に耐へ、花を看(み)るには悪酒に
耐ふるが如くにして、此(ここ)に方(まさ)に力を得ん。
現代語訳
昔の書物を読む、誤字に耐える必要がある。山に登るのにあまり人の通らない
仄路に耐えていく。吊り橋のような危なっかしい所で雪景色を楽しむ。
閑まを楽しんでいる所に俗物がやって来る、相手をしなければならないので
大変な我慢をしなければならない。
花を看るならいい酒を飲みたい、でも悪酒ならそれも台無しだになる
これも耐え無ければならない。
しかし、こういうことに対応して行くことによって初めて世渡り、人生の
力もそこでつくのである。
史を読むには訛字(かじ)に耐ふるを要す。正に山に登るには仄路(そくろ)に耐へ、
雪を踏むには危橋に耐へ、閑居には俗漢に耐へ、花を看(み)るには悪酒に
耐ふるが如くにして、此(ここ)に方(まさ)に力を得ん。
現代語訳
昔の書物を読む、誤字に耐える必要がある。山に登るのにあまり人の通らない
仄路に耐えていく。吊り橋のような危なっかしい所で雪景色を楽しむ。
閑まを楽しんでいる所に俗物がやって来る、相手をしなければならないので
大変な我慢をしなければならない。
花を看るならいい酒を飲みたい、でも悪酒ならそれも台無しだになる
これも耐え無ければならない。
しかし、こういうことに対応して行くことによって初めて世渡り、人生の
力もそこでつくのである。
posted by 成功の道しるべ at 19:02| 酔古堂剣掃
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