この記事で教科書にしたのは「天地にかなう人間の生き方」
/経世の書「呂氏春秋」を読む。
安岡正篤著
第一講-私欲を去り、公に尽くす。(全15編)
書き下し文
太上(たいじょう)は諸(これ)を己(おのれ)に反(かえ))す。
其(そ)の次は諸(これ)を人に求む。其の之(これ)を素(もと)むること
弥々(いよいよ)遠ければ其の之を推(お)すこと弥々(いよいよ)疎(そ)に、
其の之(これ)を求むること弥々彊(つよ)き者は之を失ふこと弥々遠し。」
現代語訳
一番は何事によらず、まず自分に反(か)える。その次はこれを人に求む。
その求めることが信頼出来る人ならよいが、地位、財産があるなど外面的な
繋がりのある人に求める。これほど危ういということはない。
2025年01月23日
呂氏春秋15(太上は諸を己に反す)
posted by 成功の道しるべ at 06:31| 呂氏春秋
2025年01月22日
呂氏春秋14(善い哉祈黄羊の論や)
書き下し文
孔子之(これ)を聞いて曰(いわ)く、善(よ)い哉(かな)祈黄羊(きこうよう)の論や。
外挙(がいきょ)、讎(あだ)を避(さ)けず。内挙(ないきょ)、子を避けず。
祈黄羊は公と謂(い)うべし。
現代語訳
孔子は、これを聞いて、善いかな祈黄羊の論や。外から挙(あ)げるのに
讎(あだ)を避けない。
内から挙げるのに自分の子供でも遠慮しない。
祈黄羊ような人こそ、公と言うべきである。
孔子之(これ)を聞いて曰(いわ)く、善(よ)い哉(かな)祈黄羊(きこうよう)の論や。
外挙(がいきょ)、讎(あだ)を避(さ)けず。内挙(ないきょ)、子を避けず。
祈黄羊は公と謂(い)うべし。
現代語訳
孔子は、これを聞いて、善いかな祈黄羊の論や。外から挙(あ)げるのに
讎(あだ)を避けない。
内から挙げるのに自分の子供でも遠慮しない。
祈黄羊ような人こそ、公と言うべきである。
posted by 成功の道しるべ at 14:39| 呂氏春秋
呂氏春秋13(平公、又祈黄羊に問ふて曰く)
書き下し文
居(お)ること間(しばらく)有(あ)って平公(へいこう)、又祈黄羊(きようこう)に
問(と)ふて曰(いわ)く,国に慰(い)無し、其れ誰か之れ為(た)るべき、
対(こた)へて曰く、午(ご)、可(か)なり。
平公曰く、午は予(きみ)の子に非(あら)ずや。
対(こた)へて曰く、君可なるものを問ふ。
臣(しん)の子を問ふに非ざるなり。平公曰く、善(よ)しとし。
又、遂(つい)に之を用ふ。国人(こくじん)善しと称す。
現代語訳
しばらくして今度、平公は、祈黄羊に国に防衛大臣がいない誰がよかろうかと
問うたところ。
自分の倅(せがれ)の午がよいという、午はお前の倅ではないか。
あなた様は誰が適任かとおっしゃっておるので、私の倅がどうかということを
問うておられるのではない。よし、、というわけで、またこれをもちいたところ、
国人はみな結構だと言って賛成した。
居(お)ること間(しばらく)有(あ)って平公(へいこう)、又祈黄羊(きようこう)に
問(と)ふて曰(いわ)く,国に慰(い)無し、其れ誰か之れ為(た)るべき、
対(こた)へて曰く、午(ご)、可(か)なり。
平公曰く、午は予(きみ)の子に非(あら)ずや。
対(こた)へて曰く、君可なるものを問ふ。
臣(しん)の子を問ふに非ざるなり。平公曰く、善(よ)しとし。
又、遂(つい)に之を用ふ。国人(こくじん)善しと称す。
現代語訳
しばらくして今度、平公は、祈黄羊に国に防衛大臣がいない誰がよかろうかと
問うたところ。
自分の倅(せがれ)の午がよいという、午はお前の倅ではないか。
あなた様は誰が適任かとおっしゃっておるので、私の倅がどうかということを
問うておられるのではない。よし、、というわけで、またこれをもちいたところ、
国人はみな結構だと言って賛成した。
posted by 成功の道しるべ at 10:25| 呂氏春秋
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