子路十三23
書き下し文
子(し)曰(のたま)わく君子(くんし)は和(わ)して同(どう)ぜず、
小人(しょうじん)は同(どう)じて和(わ)せず。
現代語訳
孔先生がおっしゃった、
君子は人と調和することが出来るが、いい加減な気持ちで人に賛成して
しまう訳ではない。自分の考えをしっかり持っている。
小人はいい加減に賛成することはあっても、人と本当に理解し合うことはない。
現代語訳(1)
君子は世界観、人生観というものが確立している、よってどのような
状況でも相手を理解し和することが出来る。
その点小人は、自分が大事なので不利にならないように同調するが
心から和することが出来ない。
2025年03月13日
論語-37(君子は和して同ぜず)
posted by 成功の道しるべ at 17:24| 日記
2025年01月25日
思考は現実化する!
人は生まれながらにして高い精神性を持っていればそうでない人もいる。
呻吟語では、人間を上、中、下、に分類している。、
同じ言葉を聞いても、受け取る人によってその感じ方は、それぞれ。
話は、少し飛ぶが。
パソコンで何か調べものをする時、お気に入りのカバー曲を聞いている。
マー、二宮愛がカバーしている。「東京」「Honesty」「ファーストラヴ」
「さよならも言わないままで」等々。
不思議と作業がはかどる。
それを聞きながら、時々CMが入るので何気なく聞いている。
その中で中村天風氏の積極的な心構えが大切だというメーッセージに
似たような言説があったので印象に残った。
西洋にも思考は、現実化するというナポレオン、ヒルの著作がある。
強く思えば思う程、現実化するというもの。
ただ、その使い方が重要。
1)私は幸福になりたい。
2)私は幸福である。
これは一見同じように見えるが?、全く逆なことがお分かりだろうか?
1)の、「私は幸福になりたい」は、すなわち今が不幸だと案に思っている。
という証拠。
これでは、心の中で私は、不幸、不幸、と思っているのと一緒だというのだ。
それでは、幸福にはなりえない。
何事も、成った状態をイメージする、言葉に出して反復する。
斎藤一人氏の言うように、何か問題が起こった場合に「それは簡単なんだ」
と言うのと機をいつにしている。
呻吟語では、人間を上、中、下、に分類している。、
同じ言葉を聞いても、受け取る人によってその感じ方は、それぞれ。
話は、少し飛ぶが。
パソコンで何か調べものをする時、お気に入りのカバー曲を聞いている。
マー、二宮愛がカバーしている。「東京」「Honesty」「ファーストラヴ」
「さよならも言わないままで」等々。
不思議と作業がはかどる。
それを聞きながら、時々CMが入るので何気なく聞いている。
その中で中村天風氏の積極的な心構えが大切だというメーッセージに
似たような言説があったので印象に残った。
西洋にも思考は、現実化するというナポレオン、ヒルの著作がある。
強く思えば思う程、現実化するというもの。
ただ、その使い方が重要。
1)私は幸福になりたい。
2)私は幸福である。
これは一見同じように見えるが?、全く逆なことがお分かりだろうか?
1)の、「私は幸福になりたい」は、すなわち今が不幸だと案に思っている。
という証拠。
これでは、心の中で私は、不幸、不幸、と思っているのと一緒だというのだ。
それでは、幸福にはなりえない。
何事も、成った状態をイメージする、言葉に出して反復する。
斎藤一人氏の言うように、何か問題が起こった場合に「それは簡単なんだ」
と言うのと機をいつにしている。
posted by 成功の道しるべ at 18:35| 日記
2025年01月20日
許蘭雪軒(ホナンソロン)続
物語のように読む朝鮮王朝五百年からの転載
少し前に許蘭雪軒(ホナンソロン)について書いた。
これは、その続き。
「洪吉童伝」の作者、許筠は、1605年明の朱之蕃が朝鮮を訪れた際、
ひとかたまりの原稿を見せた。
それは16年前に夭折した姉の遺した一連の漢詩であった。
朱はそのあまりの詩才に驚き中国に持ち帰って「許蘭雪軒集」の名で出版した。
許筠の姉、許蘭雪軒は幼い頃から才に秀で、弟と同じく李達に学んで漢詩を覚えた。
しかし、儒教社会にあっては、女性が詩を詠むことなど言語道断とされ、15才で嫁に
出された。
夫も姑も嫁の詩才に無理解で、却ってそのことによって虐待を受ける始末。
二人の子をなしたが、いずれも幼くして病死した。許蘭雪軒本人も1589年26才の
短い生涯を閉じた。秀吉軍の侵攻が始まる三年前だった。
壬辰、丁酉の倭乱が終わり許筠は、朝鮮での出版が難しい姉の原稿を、中国の知己に託した。
詩集は中国で評判を呼び、その後日本でも刊行された。
女性達のつらい労働を詠んだ詩、子を喪った母の悲哀を詠んだ詩など、社会性に
富んだ詩も多いがここでは、女心をきらりと輝く恋の歌を紹介しよう。
原文 書き下し文
秋淨長湖碧玉流 秋は長湖を浄め、碧玉流る。
蓮花深處繋蘭舟 蓮花深きところに、蘭舟をつなぐ
逢郎隔水投蓮子 郎(きみ)に逢い、水を隔てて蓮子を投げる
或被人知半日羞 或は人に知られるかと、半日を恥ず
漢詩という古い文体の中に宿る、近代を先取りしたような個の輝きに驚かされる。
静かな秋の湖、船をとめ、思いを寄せる男性にそっと蓮の花を投げる私。
最終行の冒頭は「或」ではなく、「遥」とする版もある。
これだと男性との距離を感じさせるが、「或」ひょっとして...と、
微妙な心の動きがたち現れたほうが生き生きとして面白い。
女性が詩を詠むという一点に置いて、否定されなければならなかった許蘭雪軒...。
その詩世界は母国では無視されたままだったが、弟許筠の執念によって、
国際的な評価を得るところとなった。
生前は公にすることが出来なかった一人の女性の思いが、奇跡のように守られ、
時を超えて輝いている。
参考
洪吉童伝-ホン、ギルドンジョン
許筠-ホ、ギュン
李達-イ、ダル
朱之蕃-しゅじばん
壬辰、丁酉-イムジン、チョンユ
少し前に許蘭雪軒(ホナンソロン)について書いた。
これは、その続き。
「洪吉童伝」の作者、許筠は、1605年明の朱之蕃が朝鮮を訪れた際、
ひとかたまりの原稿を見せた。
それは16年前に夭折した姉の遺した一連の漢詩であった。
朱はそのあまりの詩才に驚き中国に持ち帰って「許蘭雪軒集」の名で出版した。
許筠の姉、許蘭雪軒は幼い頃から才に秀で、弟と同じく李達に学んで漢詩を覚えた。
しかし、儒教社会にあっては、女性が詩を詠むことなど言語道断とされ、15才で嫁に
出された。
夫も姑も嫁の詩才に無理解で、却ってそのことによって虐待を受ける始末。
二人の子をなしたが、いずれも幼くして病死した。許蘭雪軒本人も1589年26才の
短い生涯を閉じた。秀吉軍の侵攻が始まる三年前だった。
壬辰、丁酉の倭乱が終わり許筠は、朝鮮での出版が難しい姉の原稿を、中国の知己に託した。
詩集は中国で評判を呼び、その後日本でも刊行された。
女性達のつらい労働を詠んだ詩、子を喪った母の悲哀を詠んだ詩など、社会性に
富んだ詩も多いがここでは、女心をきらりと輝く恋の歌を紹介しよう。
原文 書き下し文
秋淨長湖碧玉流 秋は長湖を浄め、碧玉流る。
蓮花深處繋蘭舟 蓮花深きところに、蘭舟をつなぐ
逢郎隔水投蓮子 郎(きみ)に逢い、水を隔てて蓮子を投げる
或被人知半日羞 或は人に知られるかと、半日を恥ず
漢詩という古い文体の中に宿る、近代を先取りしたような個の輝きに驚かされる。
静かな秋の湖、船をとめ、思いを寄せる男性にそっと蓮の花を投げる私。
最終行の冒頭は「或」ではなく、「遥」とする版もある。
これだと男性との距離を感じさせるが、「或」ひょっとして...と、
微妙な心の動きがたち現れたほうが生き生きとして面白い。
女性が詩を詠むという一点に置いて、否定されなければならなかった許蘭雪軒...。
その詩世界は母国では無視されたままだったが、弟許筠の執念によって、
国際的な評価を得るところとなった。
生前は公にすることが出来なかった一人の女性の思いが、奇跡のように守られ、
時を超えて輝いている。
参考
洪吉童伝-ホン、ギルドンジョン
許筠-ホ、ギュン
李達-イ、ダル
朱之蕃-しゅじばん
壬辰、丁酉-イムジン、チョンユ
posted by 成功の道しるべ at 22:06| 日記
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