「甲子夜話」の39巻に納められている「水雲問答」から。
ここで云う「雲」は、白雲山人こと板倉勝尚公のことで
「水」は、墨水漁翁(ぼくすいぎょおう)こと林 述斎のこと。
雲
我々の住んでいる天地は常に生成変化している活(いき)物であり、
人事も活(いき)物で固定したものではない。
所が、学問をする人間はそれを変化のない機械的なものと考えて対処
するのでうまくいかない。
故に、世の中の事に関しては、活物ゆえそれに相応する体験とそれから得る
見識を持たなくてはならない。
安穏として生活を送れれば好しとするようでは、不了見者であります。
冬は毛皮の衣服、夏は浴衣とその季節に応じて衣を変えるように
その時々の変化にきちんと対応して行けば、何事も出来ないことはない。
こういう生きた智を分からなければ、何を為しても結果は残せません。
水
確かに仰せの通りであります。しかし、人は飲食をしない者はいませんが
本当の味を知るは、少ないと言います。
見識と体験に裏打ちするの意見御尤も、しかしそれは物事のよく分かった人と
論じるのは宜しいが、誰でも良いと云うわけではありません。
人それぞれ、技量は違います。
あまり軽々しく意見を述べない方が身の為、また理解させるのも困難であります。
以上が現代語訳
我々が何かを学ぶと云う時、それを活(いき)たものとして、活用しなければ
現実問題を解決する何らの手助けにもならない。
例えば人物観察法一つを取っても、それを応用して自分のものにするには
それなりの体験が必要。
そういう意味において、時代は異なってもこういう賢人たちの問答は表現の
違いこそあれ非常に役に立つ。
2014年05月08日
活きた学問をする(水雲問答)-(活物)
posted by 成功の道しるべ at 09:48| 日記
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