以下は菜根譚の前集の148編からの引用。
事業文章は、身に随(したが)いて銷毀(しょうき)するも、
而(しか)して精神は万古(ばんこ)に新たなるが如し。
功名富貴は、世を逐(お)いて転移するも、而(しか)して
気節(きせつ)は千載(せんざい)に一日なり。
君子、信(まこと)に、当(まさ)に彼を以て此に易(か)うべからず。
事業や教養は、一時的な虚飾であって決して永遠に伝わる
ものではない。
もし身が没すれば、これとともに事業文章も消えうせてなくなって
しまうものである。
然れども、この事業文章を超越した人の大精神だけは万古に
変化することなく常に生き生きとして新たなる様相である。
功名、富貴もこれと同様である。
決して永遠に存するものではない。
しかしそれを成した人間の気節は、世の中の移ろいの中で変わる
ことなく、人々の耳目に明らかに残っているのである。
それゆえ君子は一時的な事業文章などをもって、彼の永遠な
大精神や気節には代えないのである。
昨日の呻吟語(しんぎんご)の内容とほぼ一致する。
菜根譚(さいこんたん)については、機会があれば説明したい。
どちらも人として、人格の完成を目指す内容。
ここで私がもう一つ加えたいと思うのは、このブログの題である
立志、すなわち天命を果たす事によって、それが成される。
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