徳川から明治時代にかけて教養人に広く読まれた「酔古堂剣掃」と「世説新語」。
世説新語は二十巻、三十六門に及ぶ膨大なもので、安岡先生この本の中で五十篇を
選んで解説されている。
第一章-知己の信と情より
書き下し文
朱文季(しゅぶんき)は張堪(ちょうかん)と同縣なり、張、太學中に於て文季を見、
甚だ之を重んじ臂(ひじ)を把(と)って語って曰く、妻子を以て朱生に託せんと欲すと。
文季敢て對(こた)へず。
張亡(ぼう)して後、其の妻子の貧困を聞き、自ら往いて候視(こう)し、
厚く之に賑贍(しんせん)す。
子怪んで問ひて曰く、大人は堪と友たらざるに、何ぞ忽(たちま)ち此(かく)の如きやと。
文季曰く、堪嘗(かつ)て知己の言有り。吾(わ)れ以って心に信ずればなりと。
現代語訳
朱文季は張堪と同じ県の地方官の仲間であった。ある日張は大学で文季をみて
非常にその人物を尊重し親しく密接に付き合うようになり、こう言った。
私に何かあったら私の妻子の面倒をみてやってほしいと。
そのとき文季はあえてなにも応えなかった。帳はその後すぐに亡くなった。
やがて文季の耳に帳の妻子が貧困のあるということが入る。
すると文季は自ら出かけて行って、つぶさにその状態を視察し、そして手厚く
妻子を賑わし助けた。
ところが文季の子供は何も事情が分からない。
不思議に思って、お父さんは堪と友人でもないのになぜあんなに親切に
するのかと問う。文季が応える、かつて堪と知己の言葉を交した。
私は厥知己の情に信をもって応えたのであると。
2025年11月24日
世説新語(朱文季は張堪と同縣なり)
posted by 成功の道しるべ at 06:51| 世説新語
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