里仁四8
書き下し文
朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり。
現代語訳(1)(一般的な)
朝に道を聞くことができれば、その日の夕方に死んでも後悔しない。
真理を求める尊さをいう。
現代語訳(2)
もし真理を聞いてそれを体得したならば、死んでも悔いはない。
解説
ここで朝、夕方と特定するより時間の経過を述べたと解釈している。
現代語訳(3)
『正法眼蔵随聞記』/山崎正一先生の訳、
古人の言葉に「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」とある。
今日、道を学ぶ者は、このような心をもつべきである。
現在までの限りなく長い時の間、生まれ変わり死に変わり、何度、
徒らに生まれ、徒らに死んだことであろう。
めずらしく人間界に生まれてきて、たまたま仏法にめぐり逢ったのだ。
この時にあたり、どうしても死なねばならぬわが身を、自分の気持ちとしては
惜しく思い、大切にしようとしたところで、結局はどうにもならぬ。
むしろ、最後には、捨てねばならぬ生命なのであるから、一日でも、
また僅かな時間でもよいから、仏法のために捨てたのならば、
それは、未来永遠の安楽のもととなるであろう。
解説(子や孫に読み聞かせたい論語)
人は生きることに真剣になればなるほど、悩みが深く多くなります。
それを解決しようともがきます。もがけば苦しくなります。
それでももがき続けている内に光りが見えてきて、いつも間にか
トンネルから抜けている。
そして次のトンネルが現れる、その繰り返しです。
切ないこと、哀しいこと、苦しいことがたくさんある中に、楽しいこと
嬉しいこと、心振るわす感動や愛される幸せなどが織り込まれています。
どんな明日が来るのか誰にもわかりません。
わかれば楽かもしれません。
でも、どんな人生になるか、誰かが教えてくれたら、もう生きている意味がない。
孔子先生はそう考えました。
追)この時代の仏者は経典だけで無く外典と云われる「大学」小学」「論語」
なども素養の一つとして学んでいる。
2024年10月28日
論語(朝に道を聞かば)
posted by 成功の道しるべ at 14:14| 論語
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