小生が論語に出会ったのは随分前、恥ずかしながら漢文はチンプンカンプン。
実は論語を読むのに2年程かかった。
何しろ学校で古文を習った以降そういう世界とは没交渉。
いろんな参考書を買いあさり意味を確認、素読、漸くそんな時を過ごしてヤット慣れた。
兎に角、最初の半年位は苦痛であった事を思い出した。
論語を読める様になると他の物を読むのがあまり苦痛ではなくなる。
さて、論語の全編を貫いているのは”仁”
他者に対して慈しみの心で接する、そのように理解している。
たとえば小林一茶、松尾芭蕉、俳句を頭から捻り出したのでは無く、
対象から受けた心象風景を言葉にしたのではないか。
話は飛ぶが、あの聖フランチェスコが鳥に説教をしたと云う。
仁を突き詰めて行けば、そんなことが可能なのかも知れない。
論語は学而第一(ガクジダイイチ)から始まる。
ただ、今回は安岡定子女氏の(子や孫に読み聞かせたい-論語)を
教科書にするつもり。
よって、為政第二(イセイダイニ)から始める。
書き下し文
子曰く、吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)う。
七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず。
現代語訳
我は15歳半ばで志を立てまず学問をすることにした。
何故なら家は貧しかったが故にいろんな仕事をせざるしかなかったのだ。
ただ、このままでは一生無為に終わって仕舞うのかも知れないと思い
一年発起したわけじゃ。
そうこうすると30歳位になって世の中のいろんな仕組みに合点がいき。
周公の時代の文物に理想を見出したわけじゃ。
この時代の礼学を学ぶ内に世情に迷わされることが無くなった。
それが40歳位の時じゃ。
50歳頃には天は何故に我を生んでくれたのかを悟った。
この時代は王道では無く覇道が罷りとった時代なのじゃ。
60歳頃には物事の是非善悪が判断できるようになった。
70歳頃には心のままに行動しても何のわだかまりもなくなった。
以上、但しこの現代語訳は小生の意訳で安岡定子女子のは非常に
格調が高い。
追)
十五歳-心学 三十歳-而立 四十歳-不惑 五十歳―知名
六十歳-耳順 七十歳-従心
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