述而第7八
啐啄同機(そったくどうき)という言葉があります。
ヒナと親鳥が卵の殻を内と外から同時に突いて、ヒナ鳥が生まれる、その様子を
表わした言葉です。ここで同時ということが大事なわけです。
師が弟子を導く時も同様、啐啄同機という言葉が示すように両者の呼吸がピッタリ
合うのはなかなか難かしいという、ことを言いたいのかもしれません。
書き下し文
憤(ふん)せずんば啓(けい)せず、悱(ひ)せずんば発(はっ)せず。
一隅(いちぐう)を挙(あ)ぐるに、三隅(さんぐう)を以(も)って
反(はん)せずんば、則(すなわ)ち復(ふたたび)せざるなり。
現代語訳(1)
高い意欲で学び、もがきながらも、なお自ら答えを見出そうとする
人間でなければ、導いてやらない。
何か言いたいことはあるのに、うまく言葉が見つからず、
もごもごした思いをしているくらいの人間でなければ、導いてあげない
現代語訳(2)
孔子は言った。理解できずいらいらしなければ、教え導かない。
うまく表現できなくて口ごもらなければ、やはり教え導かない。
四隅のひとつをあげて示すと、残りの三つの隅をもって推論して
問い返さなければ、二度とは教えない。
現代語訳
何事にもやるぞという気概をみせ、思考錯誤している人に対しては
チョットしたアドバイスをして自ら悟るようにさせる。
しかし、それが飲みこめないようなら時節を待つ。
解説
「復(ふたたび)せざるなり」は、否定の意味ですが、全編を通じて「時節を待つ」
と訳した方が良いと思いました。
参考
「憤せざれば啓せず」の「啓」、「悱せざれば発せず」の「発」
は「啓発」という言葉の語源とされています。
追)「思考は現実化する」自分で書いておきながら、習慣というものは
抜けきれないものだ。どうしても、無意識に〜〜したいと思ってしまう。
それが現実になったと思う、又は言葉に出していう。反省、反省!
2025年02月06日
論語25(憤せずんば啓せず)
posted by 成功の道しるべ at 14:40| 論語
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