実はパワースポットの神社に行って来た。
行きと帰りと約1時間ほど滞在。
持って行ったのは40mm前後のラピスとアストロ。
念のために2個用意。
帰って来て水晶のサザレ石で浄化した物とパワーを比較する。
人にも良いのだから、石にも良いはず。
やはりパワースポットに持って行った方が、格段に優れている。
風水では「気は風に乗じて散じ、水に区切られればすなわち止まる。」
蛇行した川があれば、多分そこでもパワーを充電出来るはずだ!
2024年10月31日
行ってQーパワースポット(続)
posted by 成功の道しるべ at 23:52| 日記
2024年10月28日
論語(朝に道を聞かば)
里仁四8
書き下し文
朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり。
現代語訳(1)(一般的な)
朝に道を聞くことができれば、その日の夕方に死んでも後悔しない。
真理を求める尊さをいう。
現代語訳(2)
もし真理を聞いてそれを体得したならば、死んでも悔いはない。
解説
ここで朝、夕方と特定するより時間の経過を述べたと解釈している。
現代語訳(3)
『正法眼蔵随聞記』/山崎正一先生の訳、
古人の言葉に「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」とある。
今日、道を学ぶ者は、このような心をもつべきである。
現在までの限りなく長い時の間、生まれ変わり死に変わり、何度、
徒らに生まれ、徒らに死んだことであろう。
めずらしく人間界に生まれてきて、たまたま仏法にめぐり逢ったのだ。
この時にあたり、どうしても死なねばならぬわが身を、自分の気持ちとしては
惜しく思い、大切にしようとしたところで、結局はどうにもならぬ。
むしろ、最後には、捨てねばならぬ生命なのであるから、一日でも、
また僅かな時間でもよいから、仏法のために捨てたのならば、
それは、未来永遠の安楽のもととなるであろう。
解説(子や孫に読み聞かせたい論語)
人は生きることに真剣になればなるほど、悩みが深く多くなります。
それを解決しようともがきます。もがけば苦しくなります。
それでももがき続けている内に光りが見えてきて、いつも間にか
トンネルから抜けている。
そして次のトンネルが現れる、その繰り返しです。
切ないこと、哀しいこと、苦しいことがたくさんある中に、楽しいこと
嬉しいこと、心振るわす感動や愛される幸せなどが織り込まれています。
どんな明日が来るのか誰にもわかりません。
わかれば楽かもしれません。
でも、どんな人生になるか、誰かが教えてくれたら、もう生きている意味がない。
孔子先生はそう考えました。
追)この時代の仏者は経典だけで無く外典と云われる「大学」小学」「論語」
なども素養の一つとして学んでいる。
書き下し文
朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり。
現代語訳(1)(一般的な)
朝に道を聞くことができれば、その日の夕方に死んでも後悔しない。
真理を求める尊さをいう。
現代語訳(2)
もし真理を聞いてそれを体得したならば、死んでも悔いはない。
解説
ここで朝、夕方と特定するより時間の経過を述べたと解釈している。
現代語訳(3)
『正法眼蔵随聞記』/山崎正一先生の訳、
古人の言葉に「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」とある。
今日、道を学ぶ者は、このような心をもつべきである。
現在までの限りなく長い時の間、生まれ変わり死に変わり、何度、
徒らに生まれ、徒らに死んだことであろう。
めずらしく人間界に生まれてきて、たまたま仏法にめぐり逢ったのだ。
この時にあたり、どうしても死なねばならぬわが身を、自分の気持ちとしては
惜しく思い、大切にしようとしたところで、結局はどうにもならぬ。
むしろ、最後には、捨てねばならぬ生命なのであるから、一日でも、
また僅かな時間でもよいから、仏法のために捨てたのならば、
それは、未来永遠の安楽のもととなるであろう。
解説(子や孫に読み聞かせたい論語)
人は生きることに真剣になればなるほど、悩みが深く多くなります。
それを解決しようともがきます。もがけば苦しくなります。
それでももがき続けている内に光りが見えてきて、いつも間にか
トンネルから抜けている。
そして次のトンネルが現れる、その繰り返しです。
切ないこと、哀しいこと、苦しいことがたくさんある中に、楽しいこと
嬉しいこと、心振るわす感動や愛される幸せなどが織り込まれています。
どんな明日が来るのか誰にもわかりません。
わかれば楽かもしれません。
でも、どんな人生になるか、誰かが教えてくれたら、もう生きている意味がない。
孔子先生はそう考えました。
追)この時代の仏者は経典だけで無く外典と云われる「大学」小学」「論語」
なども素養の一つとして学んでいる。
posted by 成功の道しるべ at 14:14| 論語
2024年10月27日
論語(逝ゆく者ものは斯かくの)
子罕第九16
書き下し文
子、川の上(ほとり)に在りて曰く、
逝(ゆ)く者ものは斯(か)くのごときかな、昼夜やを舎(お)かず.
現代語訳
孔子先生は川のほとりに佇んでおっしゃった。
流転の相(すがた)はこの通りだ、昼となく夜となく流れてやまない。
下村湖人『現代訳 論語』
孔子先生は川のほとりに佇んでおっしゃった。
この川の流れのように、時も人も去っていくものだなァ。
人生とはこの流れの様に留まることなく移ろっていくのである。
「子や孫に読み聞かせたい論語」より!
解説
東洋思想の核心は、この編の説く無常感。
形有るものはいつかは無に帰する。
そう思えば、自身が大海に浮かぶ一艘の小舟。
「逝ゆく者ものは斯の」これを検索していろいろ現代語訳を検討した。
その中で、この下村湖人の「流転の相(すがた)云々」この部分が
とても気に入っている、大好きなんだ!
書き下し文
子、川の上(ほとり)に在りて曰く、
逝(ゆ)く者ものは斯(か)くのごときかな、昼夜やを舎(お)かず.
現代語訳
孔子先生は川のほとりに佇んでおっしゃった。
流転の相(すがた)はこの通りだ、昼となく夜となく流れてやまない。
下村湖人『現代訳 論語』
孔子先生は川のほとりに佇んでおっしゃった。
この川の流れのように、時も人も去っていくものだなァ。
人生とはこの流れの様に留まることなく移ろっていくのである。
「子や孫に読み聞かせたい論語」より!
解説
東洋思想の核心は、この編の説く無常感。
形有るものはいつかは無に帰する。
そう思えば、自身が大海に浮かぶ一艘の小舟。
「逝ゆく者ものは斯の」これを検索していろいろ現代語訳を検討した。
その中で、この下村湖人の「流転の相(すがた)云々」この部分が
とても気に入っている、大好きなんだ!
posted by 成功の道しるべ at 22:45| 日記
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