木猫(もくびょう)って何だろう。
以前書いた、木鶏に対比された大変おもしろい話。
ただ、長文で恐ろしく長い。
でも案ずる事無かれ面白いのでアット云う間に読んでしまします。
作者は関宿藩士、丹羽十郎衛門であります。
彼は老子・荘子・列子などを愛読しただけあって、著書「田舎荘子」という
大変おもしろい寓話を書いております。
木猫はその「田舎荘子」の中にある文章です。
−木猫−
勝軒という剣客の家に大きな鼠が出て、昼間でも駆け回るので、鼠を逃がさないように
しておいて猫をその中へ入れた所この大鼠・猫の面へ飛びかかって食いついたので、
これではとてもかなわんと猫がおそれて逃げてしまった。
今度は近所の猫で鼠とりの上手なやつを数匹借りてきて、鼠の入っている部屋の中へ
入れると鼠は床のすみにかまえて猫がむかっていくと逆に飛びかかってきて食いつき
そのさまが実におそろしいので猫どもは皆おそれて後退してしまった。
亭主は剣客ですから大変腹をたて、木刀を振りあげて殺そうと追い回したが鼠は勝軒の
手許から逃げまわり、いたずらに戸・障子・唐紙などを破るけれども鼠を叩くことが
出来ずきず逃げる鼠のすばやいことは電光のようである。
その上勝軒の顔に飛びかかり食いつきそうになったので遂に召し使いを呼んで六七丁先
におる無類の強猫を借りに行かせた。
召し使いが借りてきた猫を見ると大してかしこそうでなくハキハキしたところもないが
とりあえず鼠の部屋の中へ入れてみようと猫を入れると鼠はじっとして動かなくなり
猫は悠々と鼠のところへ近づいて簡単にくわえて引き返した。
その後猫どもが集まり古猫を上にすえて神妙にひざまづき「我々は平素よく出来た
やつだとほめられ鼠をとる練習をして鼠と聞くとイタチ・カワウソの類にいたるまで
取ってしまおうと爪をみがいておったがこんなに強い鼠がおろうとは思いませんでした。
あなたはどうしてこのように簡単に鼠をとられたのかどうかその秘術を教えてくださいと
申し出ると古猫は笑いながら皆さんは若いから随分元気に働きますが、まだ本当の鼠を
とる正しい筋道をご存知ないため予想もしなかったことにぶつかって不覚をとるのです。
そこで先に皆さんから鼠をとる修業の程を承りましょうと云う。
===
その中のすばしこそうな黒猫が進み出て自分は鼠を取ることを仕事とする家に生まれて
その練習を積み七尺もある高い屏風を飛び越えたり小さな穴をくぐって子猫の時から
どんな早業もどんな軽業もやりました。
また時には寝たふりをして桁(けた)や梁(はり)を走る鼠を急に襲って捕らえましたが
失敗したことは一度もありません。
然るに今日は思わぬ強い鼠にであい一生の不覚をとり残念でなりません。
すると古猫が「あなたの学んだのは技術だけにすぎない。
だから鼠を取ることだけを考えておるが昔の人が技術を教えたのはその筋道を理解を
させるためであるから技術の習得は簡単であるがその中に深い道理があります。
ところが近頃はその技術だけを取り上げてそのワザを競争するようになったので
もう手の施しようがなくなりましたと答えた。
===
また虎毛の大きな猫が進み出て自分が思うには武術は大いに気勢を貴ぶので
長い間気勢の修練をして今日にいたりました。
物事にこだわらず、その上たけだけしく張り切り相手を圧倒して進むものですから
どんなに鼠が飛び跳ねても自由自在にその変化に応ずる働きができました。
そこで桁梁を走る鼠はにらみつけただけで落ちてきます。
ところがあの強い鼠はその働きがわからぬくらいすばやく動くのは、どうしてで
しょうか。
すると古猫が、あなたが修練したのは自分の気勢によって働くことでしかもオレには
これができるという自負心があるため最善ではありません。
自分が突進すると敵もまた突進してくるでしょう。
しかしこちらから突進できないときはどうしますか。
また圧倒しようとすると、敵も圧倒してくるでしょう。
圧倒できないときはどうしますか。
いつも自分が強く、敵が弱いということはありますまい。
あなたのはただ勢いに乗じた強がりに過ぎません。
その上あなたの気勢にも屈しない気の強いものにはどうしますか。
窮鼠が猫を噛むという言葉があって窮鼠が命がけで勝負などを問題とせず突進して
くればあなたの修練した気勢はこれに勝つことができるしょうか。
===
今度は灰色の歳をとった猫が静かに進み出てお話しのように気勢のさかんな
ものは形にあらわれます。
形にあらわれるとどのように小さなものでも見ることができる。
そこで私は気勢を張らず、物を争わず和して矛盾せず相手が強いときは
彼と一つになって離れない。
ちょうど投げた石を幕で受けるようなものである。
そこでどんな強い鼠でも暖簾に腕押しの状態となって私に対抗できません。
ところが今日の鼠は勢いにも負けず和にも応じませずその振る舞いは全く神のようで
こんな鼠を見るのは初めてであります。
すると古猫が君の和は自然のものではなくまだ作為した和である。
敵の鋭気をはずそうとしても君の心にそういう思いがあるとすぐ察知されます。
あまり心を和らげると意気が鈍って惰になり心が動くと自然と形に表れる。
そこで無念、無為にしておると名人の境地であるからこれに敵対するものがなくなる。
古猫が言った、然しながら皆さんが勉強し練習されたことはすべて役に立たない
などというのではありません。
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((昔、私のところに一匹の猫がおったが、この猫はほとんど一日中寝てばかりいて
元気がなく木で彫刻した猫のようであった。
その上鼠を取るのを見た者がないが不思議にこの猫がおると近くに
鼠のかげがなくなります。
猫が場所を変えても同様でやはりその場所には鼠がいなくなるので
私はその理由を四回も尋ねましたがこの猫は答えませんでした。
答えなかったのではなくて答えるすべがなかったのでしょう。
これでやっと知っている者は言わない言うものは知らないのであることがわかりました。
((この猫はすべてを忘れて無心と化し神武不殺という姿勢でありますので、とうてい私の
及ぶところではありません。))
勝軒は夢のようにこの言葉を聞いて古猫に頭を下げて言うには、自分は長いこと
剣術の練習をしているがまだその道を究めることができない。
今晩、皆さん方の意見を聞いて剣術の極意を知った。
どうかもう少しその話を続けてください」。
すると古猫がいやいや私たちは獣であって鼠は私たちの食物である。
その私たちにどうして人間のことがわかりましょうか。
勝軒は猫にえらく剣道を教わったものであります。
木鶏といいこの木猫といい人の修養過程を比喩したもの。
果たしてどのランクだろう!!!
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