実は一つ前の記事で同じ「大学」について書いている。
ただ、数箇所に違う所がある。
それが、朱子学と陽明学の分かれ道で、為政者が朱子学を
推奨し陽明学を疎んじた理由。
まずは、ほとんど同じであるが容赦願いたい。
「大学の道は、明徳を明らかにするに在り。民に親(した)しむに在り。
至善に止(し)するに在り。
止(し)することを知りて而(しか)る后(のち)定まる有り。
定まって而る后能(よ)く静かなり、
静かにして而る后能く安んず。
安んじて而る后能く慮(おもんぱか)る。
慮りて而る后能く得。
物に本末あり、事に終始あり。先後する所を知れば則ち道に近し。
古の明徳を明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。
その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉(ととの)う。
その家を斉えんと欲する者は、先ずその身を修む。
その身を修めんと欲する者は、先ずその心を正しくす。
その心を正しくせんと欲する者は、先ずその意を誠にす。
その意を誠にせんと欲する者は、まずその知を致す。
知を致すは物を格(ただ)すに在り。
物格(ただ)して后(のち)知至る。
知至って后意誠なり。
意誠にして后心正し。
心正しくして后身修まる。
身修まって后家斉う。
家斉いて后国治まる。
国治まって后天下平らかなり。
次回両者の違いについて説明したい。
2014年07月14日
「大学」の三綱領と八条目-02
posted by 成功の道しるべ at 20:34| 日記
2014年07月12日
「大学」の三綱領と八条目
「大学」「小学」は、儒家の教科書のようなもの昔は儒者だけでは
無く、僧侶も外典と称してこれを学び人格を磨いたと言う。
やはりこのような書物を読むと、心が落ち着き平静になる。
「大学の道は、明徳を明らかにするに在り。民を親たにするに在り。
至善に止まるに在り。
止(し)することを知りて而(しか)る后(のち)定まる有り。
定まって而る后能(よ)く静かなり、
静かにして而る后能く安んず。
安んじて而る后能く慮(おもんぱか)る。
慮りて而る后能く得(う)。
物に本末あり、事に終始あり。先後する所を知れば則ち道に近し。
古の明徳を明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。
その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉(ととの)う。
その家を斉えんと欲する者は、先ずその身を修む。
その身を修めんと欲する者は、先ずその心を正しくす。
その心を正しくせんと欲する者は、先ずその意を誠にす。
その意を誠にせんと欲する者は、まずその知を致す。
知を致すは物に格(いた)るに在り。
物格って后(のち)知至る。
知至って后意誠なり。
意誠にして后心正し。
心正しくして后身修まる。
身修まって后家斉う。
家斉いて后国治まる。
国治まって后天下平らかなり。
今日はここまで!
無く、僧侶も外典と称してこれを学び人格を磨いたと言う。
やはりこのような書物を読むと、心が落ち着き平静になる。
「大学の道は、明徳を明らかにするに在り。民を親たにするに在り。
至善に止まるに在り。
止(し)することを知りて而(しか)る后(のち)定まる有り。
定まって而る后能(よ)く静かなり、
静かにして而る后能く安んず。
安んじて而る后能く慮(おもんぱか)る。
慮りて而る后能く得(う)。
物に本末あり、事に終始あり。先後する所を知れば則ち道に近し。
古の明徳を明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。
その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉(ととの)う。
その家を斉えんと欲する者は、先ずその身を修む。
その身を修めんと欲する者は、先ずその心を正しくす。
その心を正しくせんと欲する者は、先ずその意を誠にす。
その意を誠にせんと欲する者は、まずその知を致す。
知を致すは物に格(いた)るに在り。
物格って后(のち)知至る。
知至って后意誠なり。
意誠にして后心正し。
心正しくして后身修まる。
身修まって后家斉う。
家斉いて后国治まる。
国治まって后天下平らかなり。
今日はここまで!
posted by 成功の道しるべ at 01:17| 日記
2014年07月09日
朱子の「小学」序文
最近ずっと左脳を使うことばかりやってきたので心が少し
散漫になってきた。
今日は久しぶりに、朱子の「小学」を手に取って読んで見た。
やはり心は落ち着く。
では「小学」の序文-小学書題から
古は小学・人を教ふるに、灑掃(さいそう)・応対・進退の節、親を愛し
長を敬し師を尊び友に親しむの道を以てす。
皆、修身・斉家(さいか)・治国・平天下てんかの本もとたる
所以(ゆえん)にして、而(しこう)して必ず其をして講じて、
之を幼稚の時に習はしめ、其の習知と与(とも)に長じ
化、心と与に成って而て扞格(かんかく)勝(た)へざるの
患(うれい)無からんことを欲するなり。
今其の全書見るべからずと雖いえども伝記に雑り出づるも亦多し。
読者往々直(ただ)に古今の宜を異にするを以って、之を行ふ莫なきは、
殊(はなはだ)其の古今の異い無きもの固(もとより)未だ始めより
行ふべからざるを知らざるなり。
今頗(やや)蒐集して以て此の書を為し、之を童蒙(どうもう)に授け、
其の講習を資(たす)く。
庶幾(こひねがは)くは風化の万一に補あらんと云うのみ。
散漫になってきた。
今日は久しぶりに、朱子の「小学」を手に取って読んで見た。
やはり心は落ち着く。
では「小学」の序文-小学書題から
古は小学・人を教ふるに、灑掃(さいそう)・応対・進退の節、親を愛し
長を敬し師を尊び友に親しむの道を以てす。
皆、修身・斉家(さいか)・治国・平天下てんかの本もとたる
所以(ゆえん)にして、而(しこう)して必ず其をして講じて、
之を幼稚の時に習はしめ、其の習知と与(とも)に長じ
化、心と与に成って而て扞格(かんかく)勝(た)へざるの
患(うれい)無からんことを欲するなり。
今其の全書見るべからずと雖いえども伝記に雑り出づるも亦多し。
読者往々直(ただ)に古今の宜を異にするを以って、之を行ふ莫なきは、
殊(はなはだ)其の古今の異い無きもの固(もとより)未だ始めより
行ふべからざるを知らざるなり。
今頗(やや)蒐集して以て此の書を為し、之を童蒙(どうもう)に授け、
其の講習を資(たす)く。
庶幾(こひねがは)くは風化の万一に補あらんと云うのみ。
posted by 成功の道しるべ at 20:24| 日記
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