2014年05月08日

活きた学問をする(水雲問答)-(活物)

「甲子夜話」の39巻に納められている「水雲問答」から。

ここで云う「雲」は、白雲山人こと板倉勝尚公のことで
「水」は、墨水漁翁(ぼくすいぎょおう)こと林 述斎のこと。



我々の住んでいる天地は常に生成変化している活(いき)物であり、
人事も活(いき)物で固定したものではない。
所が、学問をする人間はそれを変化のない機械的なものと考えて対処
するのでうまくいかない。
故に、世の中の事に関しては、活物ゆえそれに相応する体験とそれから得る
見識を持たなくてはならない。
安穏として生活を送れれば好しとするようでは、不了見者であります。
冬は毛皮の衣服、夏は浴衣とその季節に応じて衣を変えるように
その時々の変化にきちんと対応して行けば、何事も出来ないことはない。
こういう生きた智を分からなければ、何を為しても結果は残せません。



確かに仰せの通りであります。しかし、人は飲食をしない者はいませんが
本当の味を知るは、少ないと言います。
見識と体験に裏打ちするの意見御尤も、しかしそれは物事のよく分かった人と
論じるのは宜しいが、誰でも良いと云うわけではありません。
人それぞれ、技量は違います。
あまり軽々しく意見を述べない方が身の為、また理解させるのも困難であります。

以上が現代語訳

我々が何かを学ぶと云う時、それを活(いき)たものとして、活用しなければ
現実問題を解決する何らの手助けにもならない。

例えば人物観察法一つを取っても、それを応用して自分のものにするには
それなりの体験が必要。

そういう意味において、時代は異なってもこういう賢人たちの問答は表現の
違いこそあれ非常に役に立つ。
posted by 成功の道しるべ at 09:48| 日記
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