2014年03月29日

学問の四焉

一つ前のブログで論語の「学而(がくじ)第一」について書いた。

そうすると、どうしてもこれを述べないわけにはいかない。
「学問の四焉(シエン)」のこと。

これは「礼記」の中の一篇である「学記」に集録されている言葉。
学問の習得過程を比喩的に述べたもの。

第一が修焉、第二が蔵焉、第三が息焉、第四が遊焉。

第一が、之(これ)を修め、次に焉(これ)を蔵し、
之(これ)を息し、之(これ)に遊ぶ。


意味する所。

第一に、之を修める、すなわち学問でも技能であれそれを習う。

第二は、その習い覚えたものを内に蓄える、すなわち蔵する。

第三に、蔵したものを様々に整理し分類、統合する。

第四に、そこではじめて身に付けたものを、自由自在に使いこなせる。

よくよく考えてみると確かにその通り。
古人の洞察力には、恐れ入る。


posted by 成功の道しるべ at 12:23| 日記

学問の目的(人間の本質的完成)

なぜ学ぶのか、学問の目的とは何か?
私の尊敬する安岡 正篤先生は、「知命と立命」の
中でこのように述べている。

「学問の目的は、人間の本質的完成の為と」

学問をする上で参考になるのが、論語の中にある。

そこで論語の「学而(がくじ)第一」から

「子曰く、学びて時に之を習う、また説ばしからずや」

意味はこうだ、ためになる本を読み、時々思い出しては復習すること。
それは、実に嬉しいことではないか。

または、その時に相応しい本を読んで教養を高める。
実に嬉しいことではないか。

この章もいろいろな解釈があり、それはそれで価値がある。
人にそれぞれ性格があるように、本質を外れなければ、その人に合った
解釈で問題無い。

私はこのように解釈する。

「常々本を読んで教養を高め何事にも対処出きるように準備を
 しておく。そうすると、何か問題が起きた時に、これには
 あの本に解決の糸口があったと思いだしタイムリーに学び直して
 その問題を解くことが出来る。」
posted by 成功の道しるべ at 11:42| 日記
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