2014年03月27日

木鶏(荘子)

木鶏(もっけい)この言葉を知っていたら、あなたは通だ。

木鶏(もっけい)とは、荘子(達生篇)に収められている、
故事に由来する物語、人物の修養を比喩的に述べたもの。

闘鶏の成長過程と人間の修養の各段階を比しながら、確かにその通り
と思わせる。

では、本題入ろう。

ある日、闘鶏の名人,紀悄子(きせいし)が君命によって、
蹴合(しゅうごう)鶏(とり)を飼育しておった。

幾日かたって、王は彼にもう、闘わせていいかと問いただした。
すると紀悄子はまだだめです、からいばりし、威きりたって
ばかりおりますと返答した。

それから、暫くして王はまた問うた、そろそろどうか。
いやまだです、相手にとらわれています。

次にまた10日ほど後、王はどうかと問うと、まだだめです。
此奴(こやつ)め!という所があり、かさにかかる所があります。

さらに10日ほど経過して王が尋ねた。
王ー「もう大丈夫か」。

ぼつぼつよろしい、相手が挑戦しても少しも動じる気配がありません。
遠目で見ると木彫りの鶏のようで徳力が充実しております。
ここまで来ると他の鶏は恐らく相手になりますまい。

案外に人間も似たり寄ったりで、から威張りをして自分を高く見せたり
相手を意識して、自分はこんなことを知っている、こういう事も出きる
等と言ったり。
逆に相手をむやみに軽蔑して、あいつなんて何てことない等と強がりを言ったり。

なかなか周りを気にせず、超漸とした境地に達した人物になるのは
決して簡単ではない。

以前書いたブログの「六然」は、このための一里塚のようなもの。

posted by 成功の道しるべ at 22:33| 日記
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