2014年03月18日

失意泰然(六然)

やっと最後の 「失意泰然」 まで漕ぎ着けました。
しかし、書くにあたり少し戸惑いもあります。

前日のブログで、「夢一夜」 に少し触れました。
あの詩をご存知と思います。
出会いと別れの、喜び、せつなさ、をつずっています。
かくいう、私も昨年チョッピリ経験しました。

所で、この 「失意泰然」 「シツイタイゼン」 。
失意の時でも、泰然自若としている。
物の本には、概ねこの様に解釈しています。

私は、失意の時が一番難しいと思います。
人の心は、知性、情感性、意欲性、などの働きがあります。
そのなかでも、心の深い所にあるのが 「情感性」 です。
ここが、ダメージを受けた時が一番厄介です。

どんなに 「失意泰然」 だと思おうとしても心は、動きません。

其のときは、何でもやる事です。
ふて寝する、美味しい物を食べる、音楽を聞く、ジョギングなどの
身体を動かす。

そして、間を置くと心に余裕が生まれます。

其の時こそ、「失意泰然」 です。
また、般若心経を唱えるのも、唱えているうちに無心になるので
いいです。

「六然」
(1)自処超然  自ら処すること超然 (ちょうぜん)
(2)処人藹然  人に処すること藹然 (あいぜん)
(3)有事暫然  有事には暫然 (ざんぜん)
(4)無事澄然  無事には澄然 (ちょうぜん)
(5)得意澹然  得意には澹然 (たんぜん)
(6)失意泰然  失意には泰然 (たいぜん)




posted by 成功の道しるべ at 09:51| 日記

2014年03月17日

得意澹然(六然)

前回のブログで書いた、南こうせつの 「夢一夜」
実を言うと、田川 寿美 の 「夢一夜」 を聞いている。

音程の強弱が、非常に調和していて、本家を凌いでいるのでは
ないかと思っています。

東洋の思想の根本を成すのは、易学です。
世の中の、物であれ現象であれ、すべてを陰陽の相対性理論で
説くわけです。

田川 寿美 の 「夢一夜」 が優れていると思うのは強弱、即ち
陰陽の調和が、優れていると思うからです。

さて、話がそれてしまいました。

この 「得意澹然」 「トクイタンゼン」
物事がうまく行って得意な時でも淡々としているという意味です。

「得意澹然」 何をやってもうまく行く、即ち陽の極です。

そういう時は、「満れば欠くる」 の言葉を頭の隅においてください。
失敗は、大体困難な時ではなく「得意」な時に起きるものです。

「六然」
(1)自処超然  自ら処すること超然 (ちょうぜん)
(2)処人藹然  人に処すること藹然 (あいぜん)
(3)有事暫然  有事には暫然 (ざんぜん)
(4)無事澄然  無事には澄然 (ちょうぜん)
(5)得意澹然  得意には澹然 (たんぜん)
(6)失意泰然  失意には泰然 (たいぜん)









posted by 成功の道しるべ at 22:47| 日記

無事澄然(六然)

実は、このブログを書くときパソコンで音楽を聞きながら
作業をしています。
まあー知っている人は、知っていると思います。
南こうせつの 「夢一夜」 たぶんアーと思う、あなたは私と
同年代です。

「無事澄然」 これについて書くときに少し考えました。
普通の解説では、平穏無事で何も心に気にかかることがない時は
透明な水のようにすんだ気でいること!

しかし、これでは少しうすっぺらくないかと自問自答。
いろいろ考えていくうちに、私の「六然」に対する理解が非常に浅い
のではないかと思いはじめました。

話は少し飛びますが、この 「無事澄然」 この言葉に思いを馳せた
時に不思議と思い出したのが 「大石 内蔵助」 です。
普段は、昼行燈とやゆされた彼が、あれだけの大事を成し遂げたのは
まさに、平時に修練した賜ではないかと。

前回のブログで、「有事暫然」 について書きました。
その前提に、この 「無事澄然」 があってこそではないかと今は
思っています。

「六然」
(1)自処超然  自ら処すること超然 (ちょうぜん)
(2)処人藹然  人に処すること藹然 (あいぜん)
(3)有事暫然  有事には暫然 (ざんぜん)
(4)無事澄然  無事には澄然 (ちょうぜん)
(5)得意澹然  得意には澹然 (たんぜん)
(6)失意泰然  失意には泰然 (たいぜん)




posted by 成功の道しるべ at 21:42| 日記
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